2008年3月4日火曜日

まる

よくそんなとんがっていられるなあ
って、さいきんよくおもう

わたしはささいなことですぐプリプリする
めんどうくさい人間だけど、
全体的にはとってもおだやか です

なんかしてやるぜ! とか
あいつにはまけないぜ! とかないので

っていうのは、わたしはわりと予定説みたいなものをしんじていて
神さまをしんじているつもりはないのだけど、
なんかひとの人生なんて、きっと決まってるとおもっているのです
なのでやることをやっておけば、
たどりつくところにたどりつく、となんとなくおもっています
予定説というか「縁」っていうのが ちかいのだろうか

わたしはそれで、だいたいまちがいなくすすんでいるはず
受動的ではなく、やることはやってるのがポイントなんですけど

大学も、うかったからいまの大学にいくことにしたし
東大か早稲田、っておもってて、かんがえてもいなかったけど
結局 東大も早稲田も受験すらしなかった
でもよかった、この大学を卒業して
わたしはあんまりかわらずに、大人になることができたし

就職活動もがんばる必要性がみいだせなかった
大学での課題をこなして、
自分はなにがしたいのかみたいなことかんがえているだけで、
道はひらけるとおもっていた
無理してたくさんの会社をうける必要はないとおもったし、
スーツもいやだったら着なくていいとおもってた

うーんそれでいまのわたしがあるわけで
まだはじまったばかりだから結果はまだわからないけど
すくなくとも、まちがってはいないと自負している

もうすぐ新生活だ
もうすでになにかあきらめのようなものがある
��仏教でいうと、「諦」とは、「あきらかにみる」ということだそう)

だからなんか、就職活動でなやんでいるひととか、
あんまり理解できないです
努力する方向がちがうのかなあ、すごく違和感をかんじるんだよね

なんかうまくいえないのだけど
わたしが楽観主義すぎるだけなのかなあ
でも無理してかわる人生なんて、まれでしょ?

わたしは不幸もたくさんしたけど
前後関係からいえば、ちゃんとストーリーになってるんだよね
しんじられない不幸にも、ちゃんと筋がとおってるの

とてもかなしいできごとだったけど、
わたしにはなにもすることができなかった
何年もつらいおもいをして、「ああ、きまってたんだな」と

なんかもうなにいってんだかわかんなくなってきたし
もうやめよう

うん、新生活です
なんの縁かわからないけど
ちいさいころポワワンとおもいうかべていた
大人にちかづいているので、ときどきびっくりする

流れ星にねがいごとを3回いうとなんでかなうか、という話
流れ星のながれるいっしゅんのあいだに3回もいえるほど、
つよくおもっているねがいは、必ずかなう、という話

座右の銘を「人事を尽くして天命を待つ」にしようかな 笑

・・・・・

支離滅裂な文章をカンタンに整理すると、
「わたしはいま、わりと、しあわせです」ということをいおうとして

でもよくまわりからは、「運がいいだけだ」とか
「楽観主義だ」とか よくいわれるので
「努力はしています、でも努力のしかたをかえているのです」というのと
「あなたにいえないほどの不幸をわたしはしています」というのを
いいわけみたくはさんだので、こんな文章になりました

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