2009年4月27日月曜日

ひとの話

だんなが「話がへたなひとが多すぎる」といっていて
頭のいいひとはそうおもうのかもしれないね

おなじようなことを、わたしは
「ひとの話を理解しないひとが多すぎる」と
よくおもっている

たとえば2人の話を5人できくとして
5人全員の受け取り方に差はあるとしても
あきらかに間違った理解をしてるひとって必ずその中にいて
ってか、5人中3人くらいそうだったりして

そういう齟齬がでてくるのが
なんでかっていうのは、だいたいわかっていて

世の中のひとって、ほとんどがめったに会うことのないひとで
話をする機会ってのもその1度や2度のチャンスだったりもする
そういうひとの話を理解するのはむずかしい

・・・

この流れでおもいだすのは

会社にいたとき、よく発送作業をすることがあって
500通くらい封筒を閉じたりするんだけど、
わたしにとって500通のなかの1通だってものも、
届く先のひとにとってはその1通がすべてなのだ
と念じて、封筒を閉じていた

500通のなかの1通だとおもっちゃうと、
どうしてもテープの切り方が適当になったり
宛名ラベルがまがったりするのよね

・・・

ちょっと話をそらしたけど

そのひととその話をした瞬間が、その瞬間だけだったとしても
お互いの背後にはストーリーがあるし
お互いすすめたい未来のストーリーがあるし
そもそも今しているその話だって、お互いストーリー上のことのはず
そのストーリーは意識的か無意識的か
その話にもあらわれてくるから

ひとの話を理解するには
そのひとのストーリーを理解しようとしなくちゃいけない
その場の話は、その場の理解だけではぜんぜん足りないのに

実際ストーリーを理解することはすごくむずかしい
というかほぼ無理なので
「今している話は、彼の中で一貫したストーリーの中にあるものだ」
という認識があるだけで、だいぶ齟齬はへるはずなんだけど

指示代名詞ばっかりになっちゃった
でもこれに気づいていないひとって結構多いとおもった
だから自分勝手な理解で話をややこしくするんだ

2 件のコメント:

  1. でもね、届く先の人も500通の1通なんじゃないでしょうか。爆
    ボクはなるべく人のストーリィを理解しようと努力するんですね、誰に対しても。いい人はいい人なりに、嫌なやつはどうしてこいつはこんなに嫌なやつなんだろう、でもそれはそれに至った過去があってそういう経験からそういう行動・言動に出るんだろうな、って思うようにしている。
    でも。むかつくやつはむかつくよね、やっぱり。理論を越えて。笑
    ただそういうわからないなりの出会いは面白いと思う、結果的に。

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  2. まあでも「なりゆきさんからの手紙はなんだか汚いなあ」とはおもわれたくなくて…
    はい、むかつくひとはむかつきます 笑
    なんでこんなんなっちゃったのかねって思うとかわいそうになっちゃって、それはそれで一番失礼っていう…

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